17.11.15医薬経済に初試写会の記事掲載

医薬経済2017年11月15日号患者会特別編に、「逆風下で掴んだ『希望の光』~誤解に苦しむ『筋痛性脳脊髄炎』患者の記録」と題して、10月22日のドキュメンタリー映画「この手に希望を~ME/CFSの真実」の初試写会を、写真入りで2ページにわたって取り上げて頂きました。

NPO法人筋痛性脳脊髄炎の会理事長は、米国留学中の1990年に筋痛性脳脊髄炎を患い、今では介助者なしには日常生活を送れません。それでも、インターネットを通じて、同じ病に苦しむ仲間と出会い、社会復帰したいとの想いを胸に奔走。介助者が押す車いすに横たわり、幾度となく国会や厚生労働省などを訪れました。その苦労が実り、この難病の患者に光が差そうとしています。

10月22日は、季節外れの台風直撃と衆議院選挙の投開票日にもかかわらず、品川の会議室には多くの人々が詰めかけました。この日、同会が製作したドキュメンタリー映画「この手に希望を~ME/CFSの真実」の試写会が行われ、患者・家族や医療関係者が集まりました。1時間強の映画が終えようとする頃、周囲からはすすり泣く声、鼻をすする音が聞こえました。上映後には、複数の患者が疾患の切実さを訴えました。これまで知られなかった患者の声が世間に届けられます。

筋痛性脳脊髄炎(ME)は、詳しい病態はいまだにわかっていない神経難病で、有効な治療法もなく、回復は非常に困難とされています。日常生活を過ごすだけで身体が衰弱し、睡眠障害、頭痛、思考力が低下するほか、体温調節障害、光・音・食物・化学物質への過敏症などの症状が現れます。映画でも、寝たきりで仕事を辞めざるをえなかった患者、光過敏のために部屋の中でサングラスを手放せない患者が登場。筋力低下が顕著で消化機能も損ない、直接腹部から栄養を注入する「胃ろう」の患者が、覚束ない声で懸命にインタビュアーへ語りかける姿もありました。

MEは1955年にロンドンで集団発生し、56年に医学誌「ランセット」にMEと名付けることが提案され、69年にはWHOで「神経系疾患」に分類されています。ところが、84~86年に米国ネバダ州で集団発生し、88年の米国での国際会議で、患者の反対を押し切り慢性疲労症候群(CFS)と命名され、それから国内でもCFSが用いられるようになりました。国内ではストレスが原因とする研究が長年続き、神経内科が介入することはほとんどありませんでした。

多くの医療関係者が「疲労の病気」「怠けている」と思い込んでいるのが現状で、受診しても正確な診断はなかなか下りず、一般の検査をしても数値として表れません。患者だけではなく、理解のある一部の医師にも苦悩がありました。診察に基づき客観的に筋痛性脳脊髄炎と診断したのに、同僚から「患者を誘導しているのではないか」と心ない言葉を投げかけられ、「患者さんも家族に信じてもらえず、大変つらい思いをした」と語る医師は、その後、職場を辞しました。

この病気は指定難病だけではなく、障害者総合支援法の対象からも外され、寝たきりで介護が必要とされる状態なのに、福祉サービスが受けられません。職を失い、経済的にも困窮し、若い患者は通学もままなりません。挙句、症状が悪化して亡くなった患者、自死を選ぶ患者さえいます。この厳しい状況下でも、同会理事長は陳情に出向きます。これまでの活動が実を結び、2014年度に厚生労働省が実施した調査では、患者の深刻な実態が浮かび上がりました。寝たきりに近い重症患者は約3割に達し、家事が「できない」「少しだけ」と回答した患者は7割近くに達しました。

希望の光は徐々に見えてきました。関連学会が同会の活動に理解を示し、医師向けの啓発を計画。待望の治療薬が出てくる兆しが出てきました。リツキシマブの第三相試験は17年9月に終了、18年前半には研究結果が発表される予定で、世界中の患者の期待は膨らみます。試写会後に記者会見した国立精神・神経医療研究センター神経研究所免疫研究部部長の山村隆先生は、リツキシマブはMEの適応はなく、「企業が治験をし、承認薬として使えるようになるのが理想」と語ります。上市に値すると判断するかはメーカー次第です。

同会理事長は映画の活用について、「日本各地で、できれば私も出向いて上映会を開催し、正しい認知、研究推進を進めていきたい」と語りました。体は動かずとも、活動範囲はとどまるところを知りません。

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