17.8.8野島那津子さんの研究論文のご紹介

日本学術振興会特別研究員として東京大学所属の野島那津子さんが、日本保健医療社会学論集第27巻2号(2017年1月発行)に、「診断のパラドックス~筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群及び線維筋痛症を患う人々における診断の効果と限界」と題して、報告論文(本文9ページ)を発表してくださり、5月に日本保健医療社会学会の第11回学会奨励賞(園田賞)に選出されました。

2014年に「家計経済研究Autumn号」にも、論文を発表して下さいましたが、診断の効果の時間的変動や、当事者と他者との間に及ぼす影響は十分に検討されていませんでした。この論文は、全国の15人のME/CFS患者と16人の線維筋痛症(FM)患者を訪問して、インタビュー調査が行われました。本論文は、患者の語りから、診断が当事者にもたらす影響について検討し、安心感の獲得、思い/苦しみの正統化、自責の念からの解放といった効果が生じていた一方で、診断後も患いに対する他者の評価は低いままであり、病名を伝えても病気と見なされないという「診断のパラドックス」が生じていることがわかりました。診断のパラドックスは、病者の周囲による脱正統化作用の大きさを浮き彫りにし、診断それ自体の正統性が脆弱であることを示唆しています。

【診断の効果】
ME/CFS、FM、化学物質過敏症などの病気に共通するのは、当事者が身体的症状を訴えても検査で異常が確認されないため、何らかの身体疾患を疑う当事者と、それを認めない医師との間に緊張が生じることです。診断がつかない場合には、詐病や怠惰を疑われたり、心理学的説明や何らかの精神疾患の病名が付与されたり、「誤診」されたりし、当事者の「現実」が否定されるという意味で、ときに症状と同様に、あるいはそれ以上の困難として病者を苦しめます。仕事や学校などの通常義務が果たせなくなり、多くの場合は医師や家族など周囲の人々からますます疑いの目で見られ、心無い言葉をかけられるなど、他者から否定的評価を受け続けることになり、病者に不安や屈辱を生じさせることは想像に難しくありません。それゆえ、診断の効果として真っ先に挙げられるのは、安心感の獲得です。

診断によって安心感を得られるのは、医学的権威のもとで正統な「病気」だと医師に認められるからに他ならず、逆に言えば、医学的に認められない患いは、病者の社会的地位を不安定にまたは消失させ、自己やアイデンティティを危機に陥れます。ME/CFS患者やFM患者は、診断以前に別の病気と診断されているケースが少なくありませんが、精神疾患等の病名は、病者の身体感覚にそぐわないばかりか、身体症状を無効化するものとして患者には受け入れがたく、そうした捉え方では身体症状を適切に説明することができないという、病者の身体のリアリティに由来します。

外出できない背景には「正統な」理由があることが証明され、「自分が悪いことをしていないんだ」と思うことができた方や、周囲から「怠けている」「だらしがない」と評価され、学校の課題などやるべきことができない自分を責めていたのが、診断されることで自責の念から解放された患者さんの例が挙げられます。病名診断は、体が思うように動かない原因が自分の意思や精神にあるのではなく、自分ではどうしようもできない身体にあることの証明として経験され、患いが道徳的ないし精神的なものではなく、医学的ないし身体的なものであることを証明するものとして、自責の念からの解放という効果を当事者にもたらしていることが確認できます。

【診断の限界】
診断は、病者が精神的安定を得るきっかけとなっていますが、他者とのかかわりにおいて、必ずしも肯定的な効果を及ぼしていません。診断後に福祉サービスを受けられないか保健師に相談したところ、「愚痴なら聞きに来ます」と言われショックを受けたケースでは、病者が礼儀を欠いてはならないと無理して坐って話をしたために、保健師には見た目以上に考慮すべき対象とはうつりませんでした。病気の深刻さが伝わらないのは、相手が親密でない他者だからというわけではなく、実際に日々、病者が苦しんでいるのを知っている/見ているはずの家族でさえ、深刻な病気と見なさないケースが多いです。頻繁に入院している事実を知りながらも、FMと診断されたことを伝えた姉に、「死なないんじゃ、大したことないじゃん」と言われた方もいます。

病気の深刻さは、周囲の人々には診断されたという事実だけでは伝わらず、診断されようがされまいが、患いそのものに対する周囲の評価は低いままであることがわかります。診断され患う姿を見せているにもかかわらず、その実態が他者に伝わらない状況は、病者のリアリティがないがしろにされているという意味で、病の経験が診断以前と同様に毀損されていると言えます。こうした事態は、診断以前と同様に病者に大いなる精神的苦痛を呼び起こしますが、診断されていることを告げても病気と見なされないケースもあり、「病気」と認知されているだけでも良いのかもしれません。

FMで激痛に襲われた時に、妹に「痛くないと思ったら痛くないんだから」と言われた一言は、「気のせいだ」と同種の言葉であり、疲労や痛みといった目に見えない症状は、すべて病者の想像の産物に過ぎないことを含意しています。家でぐったりしていると、家族に家事を免れたいがために仮病を装っていると非難されるという、ME/CFSの患者さんの場合には、「医学的に証明されたわけではない」とか、バイオマーカー不在の事実を持ち出して、家族が病気の存在を否定します。ME/CFSと診断後に障害年金について行政に相談に行って、「そんな病気はありません」と言われた方も。診断されて、病気であることを証明できると思った矢先に、他者から患いを矮小化され、場合によっては病気の存在そのものを否定されてしまいます。

【診断のパラドックス】
ME/CFSやFMの診断の効果は、他者とかかわる場面で限界を呈するとともに、病気の実在をあらわすところの病名が病気の不在をあらわすという「診断のパラトックス」が生じています。診断の限界及びそのあらわれ方を診断のパラドックスとして提示する本論文は、時間的・対他的限界性を考慮して診断の効果を同定する必要性を提起しています。診断のパラドックスは、周囲の人々による「患い/苦しみの脱正統化」と呼びうる事態です。通常、病名診断を得た病者は、「患者」の地位を与えられ、社会の是認のもとでさまざまな義務を免除され治療に専念するとされますが、ME/CFSやFMの診断は、他者とのかかわりの中では「患者」であることを必ずしも保障せず、日常的な義務が免除される理由にもならず、病者の患い/苦しみは、いったん診断によって正統化されるものの、その正統性を信用しない他者によって脱正統化されてしまいます。このことは、診断そのものの正統化作用の脆弱さを示唆しています。

【おわりに】
診断以前は診断さえされれば他者に納得してもらえるという希望がありましたが、診断されても病気と見なされないという事態は、当事者をジレンマに陥れます。こうした背景には、社会的認知の不足、バイオマーカーの不在、症状の不可視性などの要因が考えられ、今後は診断のパラドックスが生じる背景、パラドックスのメカニズムを解明する必要があります。また、「病気」の社会的実在性がどのようにして担保されるのか、その諸条件が検討されるべきです。

広告